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ここのホームページのオーナー兼管理人の紹介です


柳瀬川の奔流


履歴書です




名前 k-chary。最近はk_charyを使うことも多い。

この名はHN(ホステラーネーム)から来ている。
かつて基地外YHと呼ばれたところでは「オウム真理教」の信徒たちのようにお互いを本名ではなくHN(ホーリーネーム)で呼んでいた。
ここで自分は「きょうちゃり」と呼ばれていた。なぜか親しくならないとお互いに本名を覚えない。詳しくは別の項目で述べる。
出身 東京の保谷町(現・似死闘教師ではなく西東京市)上保谷。いまは柳沢という知名になっている。
25歳ぐらいまで住んでいた。バスの便のたいへんに良いところで、バスダイヤなど調べたことないほどどんどんやってくるところだった。夜も11時半ごろまであった。現在住んでいるところに移ってきたときはバスの便の悪さに面食らった。
その後、結婚するまで東伏見にいた。駅から近くてやはり便のいいところだった。
現在、柳沢の家はなくなっていて、小さいころからいっしょに育ったような梅の木が一本残っている。めったにないが早春に近くを通るとわざわざ寄ることもある。
向かいのラーメン屋さんもすでに廃業してなくなってしまった。
家が壊されるときはなんとなく悲しい気持ちがしたが、いまはここに来ても不思議に感傷などない。生まれ育ったところなのだが、結婚して所帯を持ち、家族と歩んできたいまの土地のほうがふるさとという感じがある。

現在の住まい 清瀬市下宿(したじゅく)の柳瀬川沿い。かろうじて東京都。
東京の地図を見ると真ん中のあたりで南と北にサメのひれのように飛び出ているところがある。
南は町田市であるが、北が清瀬市である。あのひれの先が下宿地区でワタクシの住まいのあるところである。
川沿いなので原始人の遺跡などずいぶん出るようである。
結婚してはじめは市内の別のところに住んでいた。下宿に来てことし(05年)で11年になる。
04年には同じ棟の中で4階から2階に引っ越している。
眺めはたいへんに悪くなったが、酔っ払って帰宅したときや、夏休みに大荷物で出かけるときなどは便利になった。
ただ、やはり4階がなつかしい。
駅や商店街まで歩いていけるようなところではなく、便のいいところとはいいがたいが、四季を感ずることのできるたいへんによいところで気に入っている。
このホームページタイトルもここにきて生活をしなければ出てこなかった。
生年月日 1954年4月10日 四捨五入すると百歳です。
生まれた年には「第五福竜丸のビキニ被爆」「自衛隊発足」「ゴジラ誕生」などあり、きな臭い話題の多い年だったようです。 もちろん記憶にありません。
成人式のときには生まれた年の新聞を編集したものをもらいましたが、どっかにいってしまったようです。
日本の成長と自分の成長がリンクしているときで、小中学校のころは「今年は冷蔵庫を買った」「来年は扇風機だ」「テープレコーダー(オープンリールのものです)で聞く自分の声はなぜかヒトの声のようだ」など家電がそろっていくのが楽しみでした。
自分に子供のできる人生のクライマックスのころに日本も成長がとまってしまったようです。
これからだんだん自分が衰えていくのと、国の衰退がリンクしていなければいいのですけど。
1歳の誕生日
家族 妻、ことし高一の長女から二学年おきに次女、長男の三人の子供がいます。
歩いて十分ほどのところに新潟と東京の二重生活を送る父が住んでいます。うちに夕食を食べ、お風呂に入りにきます。
毎月、東京と新潟を彼が自分で運転する乗用車で行き来しています。もう82歳になるんだが元気なことで、見習わなくては・・・。酒量も私より多いかもしれません。
この年代の人は弱い人は戦中戦後で亡くなられてしまっているので、殺しても死なないような人間ばかり生き残っているようです。
仕事 近くに大手ゼネコンの技術研究所があり、そこから仕事をもらってかろうじて食っています。ここ数年どんどん仕事が少なくなって将来の不安が・・・
内容は土木建築の研究用に実験する模型(おもに鉄筋コンクリート製)をつくることです。あまりここで話すことではないな。
趣味 とにかく家でじっとしているということができません。家族の中ではいちばん血が熱く若者らしいかもしれません。この年代の人は多かれ少なかれそんなものでしょう。
旅やアウトドアに関すること−山登り・サイクリング・モーターサイクリング・スキー・そしてホステリングーが好き。
さらにいえば目的もなく放浪するのが好きかもしれません。
いちばんやってみたいことはトラックにミニバイクと自転車を積み、アウトドア用品を満載して日本一周に出ることです。
とてもそんなことはできませんので、いまでは日帰りのドライブや温泉で精一杯です。
知識欲も豊富で博物館・美術館めぐりや映画鑑賞もすきです。
そして何より人生の友のお酒です。

ただ近ごろは、業績もよくないので遊ぶことに使うことのできるおカネもすくなく、今では歩行・市民マラソン・HPの監修といった経費のかからないことに傾倒しています。
デジカメはおカネもかからずに自己表現ができるのですばらしいものだと思います。
小学生のころ 早熟でかなり生意気だったようです。ものごとをいまよりも知っていたかもしれない。
メガネも二年生のころからかけていました。ただ病弱で一年のうち三週間ぐらいは休んでいました。
それでも知識欲が旺盛なので学年でも三番よりは下に行かない成績でした。
中学生のころ ただただ暗かったな。バレーボール部に入って鍛えたおかげでいまの体力が何とか維持できている。
この世代にからだを鍛えないといけませんね。ひ弱だったのが少しはましになってきたようです。
高校生のころ 暗いことを知っている人間もすくないので人生やり直すときだなと思った。
コンタクトレンズにしたら「おれってけっこう男前じゃん」など判断を誤りました。
バレーは続けていて、都立高校としてはけっこう上位までいきましたよ。
女子はかわいい子が多かったし、学校から吉祥寺の町なども近く、たいへんに楽しかった。
あまり勉強しないで遊んでいたので、成績はどんどん落ちる一方でした。
でも、今でもこのころの友人は多いし、バレー部のOB会は活発だし、人生を決定づけたころだと思います。
振り返ると甘酸っぱいものがこみ上げて来ます。え、飲みすぎじゃないかって?
はじめての
YH会員証の
写真
大学生のころ 夏休みの半分はバイトして半分は自転車で全国放浪。
ふつか野宿してはいち日ユースに泊まるような生活でした。
春休みは半分バイトして半分スキーをしたり、短期のサイクリングに出かけていました。

また、誰も信じないでしょうが、男声合唱団に入って、かなり一生懸命練習していました。
いいかげんなサークルではなく、応援団や体育会と同様文科系の本格的な部で、大学の公認団体でもあります。
「東京六大学合唱連盟」という伝統あるところに所属していて、
「ダークダックス」(慶應ワグネルソサエティ)「ボニージャックス」(早稲田グリー)といった男声カルテットもここに属していました。
卒団まで勤めませんでしたが、いい経験でした。
卒業後
しばらくの
あいだ
二年少々サラリーマン生活をしてましたが、気に入ってくれた偉いさんが失脚してワタクシもはずみで退職してしまった。
退職間近のころはインベーダーゲームの盛んだったころで深酒してはインベーダーをしていたようだ。
そして自転車にのって北海道に行った。基地外YHに泊まったのが人生を狂わせた。
道東の水産加工場で数ヶ月バイトしたあとに50ccのバイクでひと月ほど晩秋というか初冬の北海道を回り、最後にもういちど基地外YHに寄った。
そこで管理人代行をしていたヒトが岩手県でYHをはじめたということを聞き、本州に戻ってきてすぐにそこに寄ったが、これがまた人生の曲がり角。
けっきょくはいま妻となっているヒトとはそこのYHで知り合い、YHの管理人さんがお仲人さんとなってそこの八幡宮で結婚式を挙げた。神社とは今も付き合いがある。
まあ、長い旅行から帰ってきて家業の建築模型の制作をするようになったが、若いころとて結婚するまでは仕事どころではなく、新潟の山を中心に登山、岩手・長野を中心にホステリングに明け暮れていました。
信条1 「けち、おくびょうはほめことば」
とにかく危険を事前に察知しこれを回避するように努める。つまらないやつです。
でも野生のサルの親分ってこれができるものがなるんだって聞いたな。
信条2 「細く、長く」
ヒトの一生のうち起きている時間は同じだと信じているので、夜更かしをすると長生きはできません。
自転車でもスピード勝負というより長い距離を一定に走るのは得意で、独身時代東伏見(土曜日あさ8時発)〜岩手県北上(日曜日午後3時着)という記録があります。
最近では徒歩で清瀬自宅(あさ4時発)〜群馬県太田市(夕方6時着)というものもあります。
けしてあせらず、着実に一歩づつというのが好きです。つまらん男だな。
信条3 「人生は、死ぬまでの暇つぶし」
ですから、日々を真剣に真摯に一生懸命生きていたいのです。
信条4 「反戦平和」
両親ともに戦地に行き、敗戦後も国外で死ぬ思いをし、命からがら帰国して現在のワタクシがおります。
両親のことはいずれ別項で書きたいと思いますが、物心つく以前より戦中の苦労のことは吹き込まれておりますので、この言葉と概念はワタクシのからだの一部になっているのです。





   










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