暮れていく 2004年12月28日 火曜日 うちの会社も、きょうで今年の仕事は終わりである。 もっとも職員の半分は先週で終わり。彼らは実質天皇誕生日前で失業してしまったようなものである。 使えない日に天皇誕生日のあるおかげで、ここ当分はそんな年末になってしまうのだろう。 しばらく暖かい冬が続き、所沢市シティーマラソンのあった日など夏日であった。 寒いのが嫌いなワタクシにとってはたいへんに過ごしやすい年の暮れであったのだが、やはりXマスあたりから寒くなってきた。 タテに等圧線の走る冬型の気圧配置で関東は乾燥している。 耳鼻咽喉系の粘膜の弱いワタクシは寒さ以上にこの乾燥が苦手で、ついに鼻が痛くなってきてしまった。 まあ、年中行事だと割り切るしかない。 明日は新潟である。湿度が高く寒い冬・・・ これもなかなかからだにはきつい。 今年の冬休みはちょっと自分にとって厳しいものとなりそうである。 さて、出先にもこのPCを持っていく。 当然ダイヤルアップとなるが、まあダイアリーを書いたり、メールを出したりするぐらいなら十分でしょう。 でわ! |
来期の構想 2004年12月20日 月曜日 今年のことでも未整理のものがわんさかとあるのに、いろいろと考えてしまいましてな。 ちょっと風呂敷きを広げてみます。 なに、このHPのことです。 まず、この日記ですが、HTMLタグ打ちで書いているのが煩わしいということもあり(ネタがないだけというはなしもあり)、あまり書き込みをしなくなってしまっている状態が続いている。 そのため、ここはいまでもそういうことが多いのですが、じゃっかん重い話を書くところにしてしまおうと・・・。 そういうふうに位置づけてサボるのを恒常的にしてしまうのが見えていますがね。 どちらかというと"inside of my ・・・・" ちゅう、感じにしてしまおうと。 鯖なりプロバイダーなりのやっているレンタルブログをひとつ引っ張ってきて、これを軽めのことを書いたり、写真を載せたりする「日記コーナー」にしようかなと思っています。 今まったく機能していないコーナーも整理するなり統廃合するなり(おお、会社でそういうことをきちんとできれば、今ごろもっと立派な会社になっている)してしまおう。 以前にも書いた別サイトと言うことで「ライオンズ応援ホームページ」を独立させようというのもあります。 春には長女が高校に入学することとなり、ワタクシの使えるおカネもますます少なくなりますので、飲みに出かけたり野球を見に行ったりすることが今よりもかなり少なくなってしまうことでしょう。 ワタクシの来期の行動はランニングとプロ野球のテレビ観戦とHP製作にシフトしていくものと予想されます。 実際、旧世紀に比べてクルマの走行距離は格段に少なくなったし、日本酒の摂取量もずいぶんと減ったものです。 あと十年、おカネ使えないなあ。 |
少年野球教室 2004年12月11日 土曜日 ライオンズの公式HPにも載っていたが、本日豊田清投手がこの清瀬市の少年野球の指導にやってきた。 この催しは昨年もあり、やはりワタクシは見学をしていた。 昨年は参加しなかったうちの坊主の野球チームも今年は参加するということで、以前より楽しみにしていた。 会場はウチの向かいの市民グランドであるのでワタクシが行くのは当然であるが、ライオンズファンであるPLとLSも遠路はるばるやってきた。 グランドの駐車場に豊田投手の自家用車がとまっていてそれを撮影したりして遊んでいたが、なんとウチの坊主が豊田投手に手取り足取りフィールディングを教授してもらうことになったりして、父親の方が感激してしまった。 ずうずうしいPLは最後に豊田投手と並んで写真を撮ってもらい、感激していたようだ。彼は年賀状用の写真に用いるといっていた。 最後の挨拶のときに 「来年も日本一となってこの場で皆さんとお会いしたいと思います。」 と話していたが、ファンはもちろん是非それを願っているのである。 来年もお願いしますよ。 |
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| 息子への指導 | 終了後の笑顔 |
薬害C型肝炎 2004年12月10日 金曜日 けさの新聞やテレビニュースは薬害C型肝炎のことで持ちきりである。 フィブリノーゲンを用いた血液製剤を、どこの病院が用いたかを厚生労働省のHPで見ることもできる。 さて、ワタクシの知人で平成5年の夏に事故で意識不明の渋滞になるほどの怪我をした男がいる。 事故からしばらくのあいだというものまったく反応もなく「生きていても植物人間かもしれない・・・」 とまで言われたのだが、奇跡的に回復し、翌年には仕事をするまで元気になった。 彼は運転免許証の更新時に献血を行なっているのだが、事故後初めての更新の時にやはり献血をしようとした。 検査の結果「C型肝炎ウイルスに感染しているようです。」といわれ、当然献血をすることはできなかった。 退院後もしばらく病院に通っていたので、担当の医師に 「ここの病院で感染したのではないだろうか?」 と尋ねたが、にべもなく否定されてしまったという。 それから十年近くがたってこういったことがようやく公表されるに至った。 ワタクシはさっそく地元選出の衆議院議員に顛末を書いてメールをしてみた。 若くてやり手の議員なのだが、朝メールをしたら、午後には返事が返ってきた。 厚生労働省に問い合わせてみても、まだとてもきちんと対応できるような状態ではないという。 薬害エイズ訴訟団から衆議院議員になった家西悟議員に尋ねて、とりあえず行なっておくことを書いてきてくれたのはありがたかった。 全国ですでにこの薬害肝炎で訴訟が起きていて、弁護団のホットラインがあり、そこの連絡先を教えてくれた。 ワタクシは責任追及や賠償問題も大事だが、なにより感染者の健康が第一であると考えるが、インターフェロン治療を受ければ発症を抑えることができるので、早急に医師に相談するようにとも言われた。 この知人の奥さんは腎臓が悪く、週に3〜4回の透析を受けるほどの重症患者である。夫婦して健康ばかりか家計にもかなりの不安があることだろう。 インターフェロン治療など一年間受けたらどれだけ患者負担金がかかることだろう! 自由競争社会の中で、こういった弱者を救済するのが行政の仕事のはずなのだが、現実はあまりにもむごい。 政治の力に頼るしかなさそうである。 こういうときにこそ政治家を頼むのであり、皆さんもそう思って欲しい。 もちろん議員もそう思っているのである。 「私をどんどん利用してください」と。 |
年賀状のリスト 2004年12月09日 木曜日 日本人には年賀状をやり取りする習慣があるので、ワタクシのように友人知己の近況を知りたい人間にはたいへんに役に立つ。 また、彼らの最新の連絡先を確認し、記録しておくのにもたいへんに便利である。 ここ数年は私的なもので約200人の方とやり取りがあるのだが、毎年そのうちの十何人かは新年の挨拶を控えなくてはならない方がいる。 そういったことも考えて年賀状用のハガキを購入するのであるが、今年は現在になってもまだ何枚もそういった連絡を聞かない。 たいへんに良いことなのであるが、そろそろ宛名書きもはじめなくてはならないなとおもっていたところなので、ことしは仕事が少々増えそうなうれしい悲鳴をあげるようである。 ちなみに、ワタクシは宛名はすべて極太の万年筆による手書きである。 |
風化していく 2004年12月08日 水曜日 日本海軍がハワイ真珠湾の米海軍を急襲して太平洋戦争が始まってから63年がたった。 テレビなどで特集番組の組まれることもなく、特別の日と意識されることも今ではなくなってしまったようだ。 8月6日や8月15日でさえ意識されることがなくなっていくような昨今であるが、「幸いなことに」現総理が某神社を参拝し、近隣の国々から批判を受けるために日本人も忘れてしまうことをかろうじて逃れているような状態である。 広島被爆の日から終戦の詔勅のでた日までの十日間というもの、ワタクシの若い頃はかなり悲惨な映像を交えた特集番組が連日のように組まれて放送されていた。そういうものをきちんと見るのが日本人の勤めだとも思っていた。 そういったことを忘れてしまい、さらに近隣の国々の人たちの痛みすらも忘れてしまおうとしている日本人っていったい・・・。 自らやとなりの人の痛みや苦しみを理解し、お互いがこれからも仲良くやって行こう、というのが国際化であり、外国との交易無しに世界の中で生きていくことのできない日本にとっての真の意味での国益である。 いわゆるタカ派の人たちのいうことややることは、ワタクシから見れば国益を損ない、日本を世界から孤立化させる「非国民」的な行為である。 もちろん過去を知ろうとしない人や教えようとしない人たちも同様であるといわざるを得ないことだろう。 |
髪の毛 2004年12月07日 火曜日 六月に床屋に行ったきり、ずっと行っていなかった。 七月に入り猛暑の夏が始まり、ホントは坊主刈りにしたい気もするほどであった。30代の頃は夏季になると良くやっていた。 今年は七月によく走ったのだが、かなりうっとうしく感じることがあった。 そのうち引越しのごたごたが始まり、夏場には髪はそのままで秋に入っていった。 今年の秋は台風が毎週のようにやってきて、さわやかな秋を満喫するような状態ではなかったが、いつの間にか涼しくなっていたという感じであった。 体育の日に市民マラソン大会があるので、それまで髪を切らずにおこうと思った。 まずまず満足いくタイムで完走したあとに髪を切ることをしなかった。 体育の日にライオンズがプレーオフを制してパシフィック・リーグのチャンピオンとなったのであるが、このまま日本一になる日まで髪を伸ばしておこうと思った。 さて、10月の末にはライオンズは日本一となり、所沢で優勝報告会も行なうに至った。ライオンズ応援用のかぶり物の裾から髪が出るほど伸びていたのだが、やはり切るに至らなかった。 こんどは112月始めの所沢シティマラソンで初体験のハーフを完走するまでは伸ばしておこうと思ったのだ。 こういうのもモラトリアムというのかななど思いながらも、半分は願掛けの意味があるように感じていた。自分は占い・運命・霊感を信じない人間なんですけどね。 そして猛暑の夏があった年にふさわしく、12月とは思えぬほどの陽気のこの5日に所沢シティマラソン大会が行なわれた。猛暑の直前が暴風雨だったというのも今年を象徴しているかのような天気であった。 ハーフを完走し、いよいよかなと思った。 そして6日についに髪を切った。まあ、年の暮れの行事のようなものだな。 |
近所の商店の閉鎖 2004年11月17日 水曜日 ワタクシがこの下宿地区に引っ越してきて十年少々。 当時それなりに近所には商店街というほどのものではないが、そこそこのお店があった。 ワタクシがときどき行く歯医者さんの入っているビルにはテナントが四軒はいっていた。 歯医者は二階にあり、となりに学習塾。一階には自転車オートバイを扱う店とタイヤ屋さんがあった。 小学校が統合されるほど子供の少ない土地なので、まず学習塾が店をたたんだ。かなり前のことである。 その次にはタイヤ屋が閉店した。三年ぐらいたったかな。 そのあとに中古車屋が入ったが長続きせず、催眠商法の店がこの春に入り、案の定何ヶ月もしないうちに出て行った。 自転車屋はかなり以前からあり、頑張っていたのだがひと月ほど前にシャッターが閉まったままになっていた。どこかに引っ越したようだ。 ここばかりで無く、近くの貸しビデオ屋も二月ほど前に閉店した。 団地内のスーパー−マーケットなど閉店してから十年近くたつ。 となりの団地の商店街もかつては活気があり、夕方にはお客さんがたくさんいて歩道の向こうが見えないほどだの、衣料品店は仕入れが間に合わないほどだとか伝説を聞くことがある。 うちは子供が三人いてノルマを果たしているが、日本は人口がこれからどんどん減っていく。 国力は人口であるとしみじみ思う秋の夕暮れであるが、購買者であり、生産者である国民が減少していくというのは明らかに国力が減衰していくことにほかならない。 さらに内分泌かく乱物質などにより、生殖能力が衰えていけばこれに拍車がかかる。 国民に子供を作る能力が無くなれば100年を待たずしてその国に人間はいなくなり、何もしなくとも滅びていくのである。 |
遠く離れた球場での試合の観戦 2004年10月7日 木曜日 昨日から福岡ドームでパリーグプレーオフ第2ステージが行なわれている。 さすがに福岡まで行ってこれを観戦することはできない。 家でテレビを見ていても家族とは完全に乖離した状態になっている。 本当は西武ドームでパブリックビューイングをやってくれればいいのである。 第1ステージでは日ハムは札幌ドームでこれを行い、無料開放したのである。 人間は追い込まれるといろいろなことを考え付くもので、ワタクシは本日以下のようなことを思いつき、これをシダックスにメールをして提言したのである。 実現するかどうかはわからない。 ・・・・・ 私はプロ野球ファンなのであるが、プレーオフや日本シリーズが住まいから遠く離れたところでおこなわれる場合、もよりの球場でパブリックビューイングがおこなわれればいいのにと思う。 そこで考えたのがカラオケボックスでの有料有線テレビや衛星テレビの実況中継を視聴できないだろうかということである。 同好の友と数人でカラオケボックスに行き、野球中継を観戦しながら大きな声を出して応援しても迷惑にはならないだろう。 天気の影響も受けないし、飲食も可能である。イニングの合間にはひいきの球団の応援歌を歌えばもりあがる。 いいアイディアだとは思うが、著作権などがあり、実行は難しいかもしれない。 実現すればプロ野球以外にもいろいろと楽しみ方はあると思うのだが。たとえばロックコンサートなど。 ・・・・・・・ |
ようやく秋の空が 2004年10月6日 水曜日 日曜日の朝からしばらく本格的な雨降りが続いていた。 体育の日のマラソン大会に備え、先週はかなり走りこみ、今週は軽く慣らす程度と思っていたが、昨日までおもてで走ることができなかった。 自分は雨天でも気にならないほうなのだが、風邪をひいてしまっては一週間で元に戻すのは困難であるので、自重している。 きょうはプレーオフ第2ステージが始まるが、走るときはラジオとイヤホンを身につけて走るようだ。 ところが今日になり、下痢。夏の終わりごろから、ある食べ物を食べると必ずおなかの具合がゆるくなるものがあり、気になっていた。本来ならば、おなかによいといわれるものである。 いままでは体調が悪いのかなとか、昨晩飲みすぎたかな、ぐらいに思っていたのだが、本日の下痢で確信した。 家族でも自分のほかにこれを食べている人間はいないので、誰も下痢はしていない。 自宅で発酵を促進して食べるものなのだが、引越しのごたごたなどで雑菌でも入ったのかもしれない。 盛夏の頃は誰しも食べるものの保存には気を使うものであるが、こういった涼しい季節になると管理が甘くなるものである。 人間にとっていい季節や気候はほかの生き物にとってもいい季節なのだとおもって管理をしなくてはいけないようである。 それにしても、おなかの具合の悪いのは力が入らず、つらいものである。 とほほ。 |
所沢航空記念公園で長距離ランニング 2004年10月2日 土曜日 航空記念公園で1950mx10周を走ってきました。 二時間少々かかりました。はじめの5周は順調だったのですが、だんだん失速してきました。 5周終えた時点で給水をしたのですが、これから先がだんだん遅くなるのが分かります。 7周でさらに給水して、トイレで顔を洗いました。この辺から足が塩でキラキラ光っているのが分かります。手の甲をなめるとかなり塩辛い。 9周を終えたところでまた給水のために止まると、足がかなりふらふらしているのが分かりました。 ここのコースは1950mなのでハーフでは11周しなくてはなりません。その予定だったのですが、もうあと1周してやめようと思いました。 、最後の一周は登り坂では歩いているような状態でした。今にして思えば9周でやめといたほうがよかったかもしれません。 2時間10分かかりました。 思ったほど時間はかかりませんでしたが、意外とばてました。 原因として考えられることは、二日酔いに近い状態だったこと。そのため走り出したのが起床後、二時間ぐらいしかたっていないこと。天気が良く、かなり暑かったこと。16キロから先は始めての体験だったことなどが上げられます。 ばてたのも苦しくなったからというよりも、エネルギーが切れてしまったからというような感じです。その後、胸が苦しいのは長距離を走ったあとだから仕方ありませんが、腹が減ってしかたありませんでした。 この日は航空記念公園にクルマでやってきましたが、うしろには自転車を積んでいました。 走ったあと、この自転車に乗って西武ドームまで行くのでありました。 この短いながらも自転車ノリをしたことがいい整理体操になったようで、翌日に筋肉痛の残ることはありませんでした。やはりエネルギー切れだったようで、これを克服すれば長い距離はいけると自信になるのでありました。 |
パ・リーグプレーオフ第1ステージ観戦逸話 2004年10月1日 金曜日 先月は火の花祭りのことを書いただけで、すっかりサボってしまった。 引越しのごたごたや重症の腰痛などあったが言い訳にはならないか。 さて、パリーグのプレーオフ第1ステージ第1戦を観戦に行く。 仕事は早引けして西武ドームには3時50分頃に着くことができた。 昨晩、坊主に「明日、学校は何時ごろに終わる?」と聞いたら、 「学校は休みです」 という。都民の日だった。 坊主に早く行って場所取りをしておいてもらいたいがそういうわけにも行くまい。逆に混雑が予想されるので、ワタクシがひとりで行き場所を確保できてから電話で呼んだほうがいいと考えるのであった。 1平米ほどのシートとガムテープを持参し外野人工芝にこれを貼り付けてなんとか場所を確保した。 電話をして坊主を呼び、試合開始前に合流することができた。 だが、なんとなく彼の機嫌が悪い。このところ本を読んだりして夜更かしをしていて寝不足のようなのである。 少年野球のチームに所属していて日曜日になると練習にいっているのだが、野球自体がそれほど好きというわけでもないようで、球場に来ていても熱心に見ていることのあまりない子である。 まだ、野球をよく知らないということもあるのだろう。初めはみんな同じであるが。 そのうち、知人がやってきていっしょに飲み始めると、いよいよ退屈してきたのか、 「最後まで見ないで、カブレラの最後の打席を見たら帰りたい。」と言い出す。 そんなこといわずにと、なだめたりしているのだが、そのうちトイレにでも立ったかと思ったのだが、ホントにそのまま帰ってしまったようで戻ってこない。 あとでうちのやつからのメールで、 「面倒を見ることができないのなら、始めから誘わないでちょうだい。」といってきた。 坊主には悪いことをしたとも思うが、ある意味見直した。 彼は末っ子ということもあって、それほど手をかけて育てられなかったようなところがあり、小さいときから親のそばにいないとダメだということはなく、TDLにいっても眼を離すとひとりでどっかにいってしまうようなことがあったり、スーパーで迷子になることなどしょっちゅうであった。 小学校に入ってからライオンズファンクラブ会員であるが、親とやってきても一人でどっかに遊びに行ってしまうこともしょっちゅうである。 五年生でひとりで西武ドームを往復できるのであれば、中学生の頃にはホステラーひとり旅ができるようになるかもしれない。 頼もしいものである。 |